今まで私がどういう風に学校と関わって(?)きたかを書きます。
学校に行きたくない理由は、自分でもよく分かりません。
その辺りのことは、「不登校・私の場合」をご覧下さいね。
「この頃の同級生との関係」について追記しました。各学年の*のところです。
大事な部分なのに、なぜ書いていなかったのか不思議です。
実を言うと、このころから行くのを嫌がっていました。
バスに乗るのも嫌がっていたので周りの園児に笑われていたかも。
帰りはバスに乗らず、祖母に自転車で迎えに来てもらっていました。
かなり距離があるのに、十数キロもある子供を乗せて大変だったと思います。
*帰りのバスを待っている時間、年長の子に「目に砂を入れろ」とか「口に名札のピン(安全ピン)を入れろ」 だとか言われていました。それは今思えば子供の天真爛漫さですから 拒否すれば済んだ話なのですが、 当時は嫌で嫌でしょうがなく、前述のように自転車で迎えに来てもらっていたのです。
入学式の時に泣いていた記憶が…^^; 何が起こるのかよく分からないと不安になって
しまうのです(この性格は今も変わりません)。
気が弱く「やめて」の一言も言えない上、恥ずかしがりやで先生(女性)ともまともにしゃべれませんでした。
先生と1対1になるとしゃべれないのに、授業中は手を上げていたのが自分でも不思議です。
なんと、この年は一年間ちゃんと通っていました。驚きですよね。一年生という自負がそうさせたのか? 謎です。
*席替えで私の後ろに座った子に嫌われていて、私の座った椅子を蹴られたりしていました。
また、気の強い女の子に振り回され、チャイムが鳴ったのに教室に戻らなくて(戻ろうと言っても聞いてもらえず、
自分一人で戻る勇気もなく…)先生に探され、がっちり怒られました。
それもこれも、先生に言わせれば「やめて」といえない私がいけないのですが。
そんなでも、仲良くしてくれる友達が一人いたんですよ。その子とよく遊んでいました。
夏休みを境に、徐々に行かなくなりつつありました。担任の先生は一年生の時と同じ人で、
その日の予定や時間割を見て「今日は2時間で帰る」とか「今日は4時間」と祖母に言い、
連絡帳に書いてもらって先生に渡す…という、変な行きかたをしていました。
*一年生の時と変わらないです。クラス替えがなかったので。
なぜか三年生の時の記憶がありません。担任はまたもや前と同じ人でした。
それは多分校長か担任の気遣いだったのでしょうが(クラス替えをして担任が変わらなかった人は少ない)、
できたら違う先生がよかったかも……この担任が悪い人というのではなく、不登校の子供の扱いに慣れていなかったのだと……
音楽のの先生が好きだったのだけは覚えているのですが…
「なんで学校に行かないの」と言われたのは、多分この頃がピークです。
*うーん、思い出せませんねー。私は変な子供だったでしょうに、いじめられていなかったのが不思議です。
なんと、ほぼ一年ちゃんと行けました。担任が変わったのが良かったのかも。
小学校生活では、この時が一番楽しくて、幸せでした。
5月ごろになって毎年なるように「5月病」にかかり、行き渋っていたのに、担任のおかげか少なくとも2学期以降は毎日通っていました。
その先生は定年間際で「もう一人のおばあちゃん」という雰囲気が漂っていて好きでしたね。
授業中も手を挙げなければ絶対に指さないので安心でした。
1年の時とは裏腹に、2,3年生の頃以降は授業中に一切発言をしなくなっていたのです。
*仲良くしていたグループの一人と3学期に喧嘩をし、以降クラスが替わっても何かしら言われ続けました。結構トラウマです。
四年の時に学校に行く気力を取り戻して、「さあ、がんばるぞ!」という気になったにもかかわらず、
担任の先生(女性)がいままでで一番気が合わない人で、結局ほとんど行きませんでした。
クラスのほとんどの人がこの先生のことを嫌っていたのに、自分だけが不登校になるなんてやっぱり私は弱いな…と思わされる1年でした。
このとき、少しの間 保健室登校をしました。よく覚えていないんですけどね。
不登校の子は保健室登校をするものだというイメージで「なんとなく」志願したもので(苦笑)
保健の先生にはご迷惑をおかけしたと思います。
なお、母を学校に呼びつけ、先生と校長先生がグルになって母のことを責めていたようです。未だにこの時の校長と担任が許せません。
*覚えてませんね。どうだったかなぁ…そういえば、校長室に呼ばれ、強引に一緒に昼食をとらされて説教されました。 友達じゃないですけど、校長はそれで仲良くなれたと思ったみたいです(苦笑)
今までで一番若い先生で、他の人は気に入っていたみたいですが、私は好きではありませんでした。
やっぱりよく覚えていませんが、いろいろ痛い行動をしたような…考えると憂鬱になります。
5月ごろに四年生のとき喧嘩した子とちょっとした諍いがあり、それを先生に言ったら勝手にその子に注意をしてしまい、
いわゆる「チクった」状態で余計に悪化したことも。
先生はそれが原因で学校に行きたがらないのだと考えたみたいですが、今思えばそれは言い訳にしかすぎず、
心のどこかで学校に行かなくなる理由を探していたのだろうと思います。
卒業式にも出ませんでした。元来、人に注目されるのが嫌でしかたがないため
ある意味当たり前とも言えるかもしれません。
「私には学校は向いてないんだ…」と気づき、中学にも行かない!と勝手に決めました。
*男子の同級生に「頭がおかしい」と思われていることを知りました。なんだか、自分で妙に納得しましたね。ああ、他の人にはそう見えているんだ…と。 あるいは、自分で気づいていないだけで本当は…とか。
学校に行こうとするのをやめました。
入学式にも出ていません。小学校の時と違って制服があったので、何万も払って制服を買っても、
結局は行かなくなって無駄だろうな…と思い、憂鬱に。
周りの人(家族、親戚など)も中学になったころから「なんで学校に行かないの?」とは言わなくなりました。
「これだけ登校拒否をしているのだから、むしろその精神の方を尊重しよう」というのも多少はあるかもしれませんが、
大半は、「慣れ」「言っても無駄」「変な子」のレッテルでしょうね。
先生は割とそっとしておいてくれる人だったので、気が楽でした。
*これ以降、友達遊んだりすることはほぼなくなりました。会っても気まずいですし。
初めての男性の担任。あんまり関係ないですけど。
家にも学期末くらいしか来なかったです。
あまりに理にかなっている(ほっといてくれる)ので、すごく気が楽でした。
9月になってやっと初対面。
話題はもちろん進路のこと。私は通信制高校を希望し、向こうもそのつもりだったようであらかじめ調査をしてきてくれました。
当たり前といえばそうかもしれませんが、かなり私に気をつかっていましたね。
いまさら不登校について聞かれても傷付いたりはしないのですが(笑)
「何で学校に行かなくなったのか聞いてもいい?」なんて訪ねられた時には困りましたけどね。
このページを見ても分かるように、これといって「これだ!」と言えるものがないですから。
やっぱり「集団生活に馴染めない為」か「同級生が苦手」ですかねぇ…
そんなわけで結局、卒業式にも出ずに終わりました。
先生方が割合(小学校に比べて)放っておいてくれたので助かりました。
やはり小学生の方が教室に戻る可能性が高いのでしょうかね?
自宅での学習と、週一回ほどのスクーリングを繰り返して卒業するタイプの通信制高校に入学しました。
かなり自分に向いている気がします。
なんといっても「人と無理に仲良くしなくても良い」所ですね。
話したければ話すし、お互い興味が無ければ関わらない。
その分、あまり体裁(無理にニコニコするとか、話を合わせるとか)を気にしなくていいのです。
ま、問題はモチベーションの維持が出来るかどうかです。
無事に2年次になったらまた書くことにしましょう(苦笑)
モチベーションの件はなんとか保たれ、2年次に進級できることになりました。
週に1回というペースは3年間まともに外に出ていなかった自分には丁度良かったようです。
特筆すべきことはありません。一年次と同じです。
会ったら話を交わす人ができたくらいでしょうか。
3年で卒業できるでしょうか…。
小・中学で真面目に通ったのは、小学校1年生の時と4年生の時。
ほとんど行かなかったのは、小学5、6年生の時。
一日も行っていないのは中学1〜3年の時。
そのほかは行ったり行かなかったり・・・ということですね。